June.20**


どこの地方にもそんな山があるだろう。



小中学校の遠足も、家族で行くハイキングも、ちょっと早起きしてのトレッキングも、アウトドアと言えばお約束のローカルな山。ボクたち東京山の手の住人にとっては高尾山という八王子にある小さな山がそれである。

何度も訪ねているので、行き止まりになっている脇道や、つまらなすぎて誰も通らないルートを知っている。だから例えハイシーズン、新緑の休日でも、その気になればサティるチャンスはいくらでもあった。

「サティる」とは、「妻の全裸ヌード写真を撮る」という意味の隠語である。さとみのネット上の愛称「サティ」から派生した自動詞で、他に野外でサティるのに適した場所を意味するサティ場という名詞もある。


サティ史上最大の事故は、この高尾山で「赤い帽子」という作品を撮ったときに起こした。朝早く浅川の登山口から登り始めて小仏峠を越えた午後のできごとである。

ご覧のように奥に道が続いているが、なぜかこの先であっさりと行き止まり。撮影しているボクの後方、ハイキングコースからの分岐点にはその旨が看板に明記されている。仮にもし誰かが冒険心を起こしたとしても、この広場まではだんだらの坂道をずいぶんと登らなければならないので、下方に姿を確認してから、ゆっくり撤収する余裕がある。このパーフェクトサティ場を見つけてボクたちもすっかり油断していた。

突如、右手の茂みの中から一人の若い男がボクとサティの間に現れたのだ。あまり山に慣れていない様子で、ロープウエイで登ってきたついでにちょいと足を延ばして来た感じである。そもそも男一人で来て楽しい場所ではない。尾根筋のハイキングコースから、若さに任せて獣道を下って道を失ったのだろう、雑木林の中をさまよった挙句にようやく明るいところに出たようだ。ところが道を聞こうとした相手が真っ裸とはまさに晴天の霹靂。かわいそうに動転した男は無言のままボクたちの間を突破して奥の道を登っていった。しかし、10歩もいかないところで道は断崖絶壁に阻まれている。彼が決然と踵を返すのが見えた。


サティはと言えば、この状況でどうすることもできない。着る物はちょうど男が戻ってくる道の脇に広げたレフの上に置いてあったからだ。いつものことだが、妻はウルトラ几帳面なので、脱いだ着衣は一枚ずつ丁寧に畳んで重ね、下着はボクから見えないように間に挟み込んである。


今度はサティの背中側を見ながら道を下ってきた男は、早足にボクの横を通り過ぎて坂を下ってゆく。ボクたちは棒立ちのままそれを見送った。

やがてサティがぽろぽろと大粒の涙を流しながら照れ笑いを始めた。あまりのショックで涙と笑いが同時に起こったようだ。ふと思い出したのか、頭の帽子を手に取り、もじもじと胸の前でこね回しながら、


「えへへへ、ずーっっ!」

と、鼻をすすりあげた。

「くすん。これじゃ、どうせ隠せなかったよね。」
「あははは。まあな。」


下がってしまったサティのテンションも、ロープウエイ頂上駅のビアガーデンで夕景を見て過ごすうちには明るさを取り戻し、ご機嫌になった。

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