2011/8
ボクとサティは北海道をよく旅した。10回は行ってないと思うがそれに近い。特筆すべきはそのほとんどが飛行機や電車を使わずに東京からひたすら車を運転して行ったことだ。これは一つには経済的な理由がある。旅はときに2週間にも及ぶので全て宿を取っていては清貧に甘んじる我が家はたちまち経済破綻してしまう。車には夜具と蚊帳と出発前夜に挽いたモカブレンドが積んである。
また旅のスタイルも大きい。ボクたちの旅は目的地こそあるが途中の予定は立てない。だから宿の予約もできない。風の向くまま、気に入った場所があれば日が暮れるまでそこで過ごす。夕日の最後の一条が消えるまで眺めたらいちばん近い銭湯に行く。
夕食は美味しいものにありつければよし、開いているレストランがなければそれもまた一興である。セイコーマートに行けば十分に北海道気分を味わえる。それからキレイなトイレがあって人の迷惑にならない場所に行って缶チューハイで乾杯するのだ。気まま旅に車はなくてはならない。
そんなわけでボクたちにとって北の旅の入り口は仕事を終えた東京の職場から900kmを走破してたどり着く青函フェリー乗り場である。
ある夏の帰り道のこと、フェリー埠頭に向かう道央自動車道室蘭のパーキングでトイレに寄ったときのことだ。トイレのコンクリートの窓から見える空に、行く夏を惜しむかのように雲がゆっくりと浮いていた。蝉がしきりに鳴いている。ふとその窓辺に花が飾られているのに気づいた。キレイに洗ったジュースの瓶に生けられた小さな野花だった。パーキングの誰かが旅人のために毎朝生けているのだろう。
棚には手作りのウエルカムボードが飾ってある。それを見ていたボクは急に道南を旅してみたくなった。いつも北海道は道東を好んで訪ねた。網走駅の近くに毎回連泊する常宿もある。道南はいつもその通り道でゆっくりと滞在したことがない。揺れる野花を生けた誰かの心がボクを誘った。翌年の夏、再び青函海峡を渡ったボクとサティは函館から国道を外れて道南の旅に就いた。もちろん行き先も予定も決まっていない。
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ボクの趣味は日本史の史跡探訪である。初めから行きたいと計画している場所もあれば路傍の標柱に導かれて偶然訪れる史跡もある。
サティは基本史跡に興味はないが、読書魔、活字魔である。いつでもどこでも現地の説明板を全文熟読する。だから訪ねる道々はボクが解説していた史跡について、帰るときはサティの方が詳しくなっている。間違いまで指摘されることこそ剛腹である。
こうしてボクの史跡巡りにいつも同行しているサティの史跡キャップ数は北海道から九州、海外まで広範囲に膨大な数に及んでいる。そのへんの歴史オタクをはるかにしのぐだろう。
今回、最も楽しかったのは室蘭に向かう国道沿いに見つけたこの貝塚(2021.7世界遺産に登録)である。規模も貝の種類も桁外れている。道南から東北地方にかけて居住した縄文人やアイヌ人に、親潮がいかに豊潤な動物性タンパク質を供給したかが実感できる。貝の種類はホタテから牡蠣まで気候変動をものともしていない。海岸まで押し寄せるニシンやマス、背後の森にはブナやクリが自生し、越冬に十分な蓄えとなったであろう。毛皮や骨器や薬をもたらすクマや海獣は人々に神の使いとしての崇拝を受け乱獲されなかったと考えられる。
ボクの心が古代へ飛ぶ間、妻は緑の丘を散歩している。日傘は折り畳み、腕にはめているのはホームセンターで買ったドライバー用の日焼け防止グッズである。痘痕もエクボ、それがボクにはまるでヨーロッパの貴族のサマードレスのように見えてしまうのだ。
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サティ場を見つけるのは経験と勘による。
大沼のサティ場は実はキャンピングカーとテントと人でごった返すキャンプ場からほんの一つ隣の入江である。キャンプ場の声が聞こえそうなほど近くの湖畔でボクは駒ヶ岳をスケッチした。サティは日陰に置いたチェアで文庫本を読みながらときどきうつらうつらしていた。
サティったのは絵の具を乾かしているときのこと。絵を描きはじめてから撤収するまでの一時間あまり、ボクたちの過ごした入江に来た人はいなかった。
歌才の森もキムンドの滝もガイドブックには載っていない。
標識を見たときにピンときて入ったサティ場である。夢のように美しい場所に人は誰もいなかった。
サティ撮影は暗黙の了解で始まる。ボクが指示するのは立ち位置と視線の向きだけ、スタートから終了まで阿吽の呼吸で撮影は進む。
さて、このようにして見つけた場所がいつもサティ場になるわけではない。サティからダメ出しという場合がある。それは人に見られる危険のリスクからのNGではない。その点ならボクたちは撮影の手際に絶対の自信がある。ダメ出しされるのはサティの基準で美しいと思えない場所である。廃墟とか落書きだらけの場末などがさとシエ作品に登場しないのは専らそういう事情による。サティの背景はモデル自身が取捨選択している。
例えばこの「ただの」トウモロコシ畑、普通なら許可の出ないロケーションである。ボクが後方に昭和新山がくっきり見えるティピカルさを猛アピールして何とか撮影に漕ぎつけた。
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車泊は最近SNSや動画投稿サイトなどでちょとしたブームだが、ボクたちの車泊はそれらとは趣を異にする。車泊そのものを楽しんでいるわけでは全くないからだ。専ら時間とお金がないために車で寝ることを余儀なくされているに過ぎない。
旅の空の日が暮れる頃、その日の宿が決まっていない心細さは峻烈な旅情を誘う。たいていは夕焼けや夜景を撮ったあと、大急ぎで銭湯や食堂を回りへとへとで寝場所にたどり着く。せいぜい眠くなるまでしばらくラジオを聞くか受信可能なテレビでも見たら、あとは泥のように眠りに落ちるばかりである。
当然朝は早い。朝焼けを撮ることもある。サティは少々潔癖症気味の掃除魔、片付け魔である。夜具や車内の朝の掃除が始まる。キチンと整頓され、いったいこれ以上どこを整理するのかと思われるような荷室やボストンバッグの中も毎日片付けられる。
その間のボクの仕事はコーヒーである。バーナーでポットのお湯を沸かし、大きなマグに落としたコーヒーを紙コップに分ける。ベンチがあればそこに運んで、前夜セコマで買ったパンを並べる。
掃除を終えたサティが
「今朝は少し肌寒いわね。」
と言いながら、車の冷房避けのケットを肩に掛けてベンチに座ると魔法がかかる。その擦り切れた布がボクには優雅なシルクのショールに見えてしまう。そしてコンクリートのベンチとセコマのパンはたちまち三つ星ホテルのダイニングと朝食に変わる。
サティがボクと旅を始めたのは彼女が18才の時。以来、これが普通の旅だと思っている。ボクにもう少し甲斐性があればと思わぬ日はない。
「あー、おいしい。」
熱いコーヒーを嚥下したサティが目を細めた。潮風が微かに動き、アケビの蔓の間からキタキツネが顔を出した。
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メリハリ(メリカリ)とは雅楽用語である。音楽にはメリハリが必要である。恋愛も仕事も緩めたり張りつめたりしないと続かない。旅もまた然り。車泊しながらストイックに撮影や史跡探訪する「ハリ」だけではもたない。
そもそもサティは自然や史跡に興味がない。好きなのはショッピングとカフェである。ネイチャー→史跡→ときたら、3日に一度は賑やかな街歩きである。どうせおもねるなら徹底せねばならない。
「オレは街撮りしてるから心ゆくまでショッピングしてるといい。」
かくて大阪でも博多でもニューヨークでもバルセロナでもボクは街撮り駄作写真を大量に生み出してきた。
今回も函館や小樽で街歩きのゴマすりすり。これが旅のコツだ。好きな遺跡巡りに付き合わせ、森や海で裸に剥いてしまうためには裏でコツコツと努力をしているというわけである。そして仕上げの「メリ(緩)」は札幌のシティホテルに泊まっての豪華ディナー…の予定だった。
ところが積丹半島のある浜でボクはこの光景に出会ってしまった。
幼い頃、夏休みにはいつも家族で館山の民宿に連泊して泳いだ。この店先を撮っていて懐かしすぎるその記憶があふれるように蘇った。焼けた砂浜、胸のすくような潮騒、凪と夕日、鯵の干物。茄子と玉葱の味噌汁に落とした卵の朝食…。
「札幌のホテルはやめた。」
「え!?えー!?」
「海辺の民宿に泊まろう。」
「み、水着持ってきてないよ。」…それがサティの精一杯の抗いだった。
「札幌に買いに行く。」
「えーん(>_<)…ほてるぅー!…でぃなぁー!」
炎天下の大通公園で街撮りの迷作を撮りながらサティのショッピングを待つこと2時間半である。時計台までは2往復した。ショッピングと言ってもサティの買い物に高価な品物はない。バーゲンのスカートとか掘り出し物のお土産品とかを長考の末に買い求める。ようやく両手にいっぱい買い物袋を抱えて帰ってきたサティをねぎらって、オシャレなカフェでアイスコーヒーとチョコレートである。さらにロイズの工場を訪ねてまたまた直営のカフェである。なあに大したことはない。バイヨンヌというフランスのチョコレート発祥の街では4件のカフェをはしごした。チョコレートの聖地ブリュッセルではチョコ→ワッフル→チョコ→ワッフルの連続攻撃に付き合った。それに比べれば楽々である。ちなみに札幌でもバイヨンヌでもブリュッセルでもサティは全店でチョコレートケーキや生チョコ、チョコレートドリンクをペロリとバキュームしている。甘味の味覚飽和に対する強靭さは常人常人が耐えられるレベルをはるかに超えている。怪物と言える。
かくてシティホテル&ディナーをキャンセルするに足るだけのフォローを成し遂げ、ボクは日本海側のビーチにやってきた。妻が着ているのは札幌のsan ai で買ったおニューの水着である。札幌で買ったこの小さな布切れの価格が、二人分の一泊料金を遥かに凌駕するところがボク的には謎である。
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海面を歩いてる?波乗り?まさかね。
種を明かすとほら。
満ち潮で水没している堤防の上に立たせている。それを遠くから280mmで抜いているのである。
宿は札幌でネット検索して、渡島半島の付け根にある瀬棚という日本海に面した海岸に「ザ!海の民宿」的な宿を見つけた。松前や積丹の神威岬よりも西に張り出していて北海道本島最西端の町になる。
そしてまるで子どものように遊んだ。コパトーンの香り、スピーカーから流れる歌謡曲、海の家と焼きそばの匂い…波が寄せて作ったばかりの砂の城が浸水する。
この年、南米チリ沖の太平洋には二年連続して強いラニーニャ現象が起こった。その影響で太平洋高気圧の張り出しが大きく、札幌や道東までが本州を凌ぐほどの猛暑に見舞われた。もとより瀬棚は道南で狩場山地の風下にあたる。激しいフェーン現象に見舞われて体感は体温以上、砂は焼けて裸足では乾いたところが歩けない。ビーチの中央には昔ながらの海の家やシャワー施設が遠目にもいい雰囲気を醸し出しているがそこまで行って着替えても波打ち際をかなりの距離戻って来なければならない。
海の家のシャワーはあきらめて堤防づたいに宿に帰る。その方が近い。
部屋に砂を持ち込みたくないので、二日とも民宿の駐車場の外れにある水道のホースをシャワー代わりに借りた。
前述のとおりサティは潔癖症である。外で裸なのを忘れて体や水着の砂を落とすのに熱中してしまう。すぐ向こうは車がビュンビュンと行きかう国道である。
ボクもこの場で裸に剥かれ頭からホースの水を浴びせられた。手のひらや濡れたタオルでマグロか何かのようにごしごしと洗われる。
「いたたた。痛いよ。」
無防備で遊んでいたボクは肩から背中にかけて真っ赤に日焼けしていた。
「あー、気持ちよかった。夕飯までにずいぶん時間があるね。」
北海道の民宿にエアコンはない。昼間の室内にはとてもいられない。寝るとき以外、二泊三日のほとんどを宿の前の堤防で過ごした。コーヒー沸かしセットや折り畳みチェアを置き洗濯物もつるした。テレビはないのでボクはスケッチをし、サティは本を読んだ。あまり車泊と変わらない。
夕食のとき、思い切って生け簀の雲丹の値段を聞くとびっくりするほど安かった。豪勢にも二晩とも雲丹をその場で開けてもらって食べた。後にも先にもこれほどおいしい雲丹を食べたことがない。
小さな浴槽に二人交代で浸かり思い切りシャンプーする。風呂から出たら長いテーブルの途中に夫婦向かい合わせで座る。 冷えたサッポロクラシックの王冠をポンと開ける。窓から見える夕焼けの頃合いを見はからって、
「ごめん、ちょっと撮ってくる。ビールもう一本頼んどいて」
…と、食卓に妻を残しサンダルを突っかけて堤防に駆けあがる。
水平線に夕日が沈む。雲がないので残念ながら夕焼けはしない。そこで三本杉岩をシルエットに入れて酔撮する。
「きれいね。」
声に驚いて振り向くと…なーんだ。さとみも来たのか。
「ホントにきれいだ。」
「ビール頼んであるよ。戻りましょう。」
食堂に戻ってサッポロクラシックをもう一本。生け簀の雲丹を開け北の勝の小瓶を一本。
千鳥足で部屋まで堤防沿いにまた散歩する。三本杉岩に波が砕ける潮騒が定期的に聞こえてくる。頭上には降るような星空。明日はどこへ行こうか。道南の旅はまだ続く。